扇子は日本発祥のものとされています。風を送ったり日差しをよけたりするための団扇のようなものは、紀元前の中国や古代エジプトにも存在していたようですが、それを重ねたりあるいは畳んだりしてコンパクトにしまえるようにした「扇子」は、1200年前頃の京都で誕生したと言われています。
最初の扇子は、薄い木の板を重ねて束ねた「檜扇(ひおうぎ)」と呼ばれるものでした。5~6世紀ごろ、文字の伝来とともに記録を残す手段として「木簡」と呼ばれる薄い木の板も輸入されます。やがて宮中などで広く使われるにしたがい記録する文字が多くなると、一枚では足りず紐で綴って使うようになり、これが檜扇の原型ではないかと言われています。そして紙が大量生産されて一般的になると、その木簡を綴ったものは実用的な役目を紙に明け渡し、形式美的な宮中装飾品に変わっていきます。男性だけでなく女性も持つようになり、文字だけではなく大和絵や唐絵などが描かれ、華やかさを増していきました。
その後檜扇に続き、紙製の扇子もあらわれました。片貼りという骨にそのまま紙を貼っただけのもので、扇面の片側は骨が露出している状態でした。この扇子は「蝙蝠扇(かわほりせん)」と呼ばれていたのですが、広げた時の様が蝙蝠(コウモリ)の羽のように見えることからという説があります。また、蝙蝠扇は現在の扇子と同じように涼をとるのにも用いられ、「夏扇」とも呼ばれていました。対して檜扇は「冬扇」といい、季節や場面によって使い分けられていたようです。
鎌倉時代に宋への献上品として中国に渡った檜扇や蝙蝠扇は、室町時代に「唐扇(とうせん)」として日本へ逆輸入されることになります。その唐扇は、骨数が多く両面貼りのもので、現在の扇子のように耐久性と鑑賞性を考慮したものでした。またこの時代には様々な扇子の形が生み出され、能や茶道にも取り入れられました。
江戸時代になると扇子作りは、冠、烏帽子作りと共に幕府の保護を受ける重要産業となります。元禄年間には、京からきた久阿弥の寶扇堂初代金兵衛によって扇子作りが江戸にも伝わり、扇子は庶民の必需品となるほど広まりました。
一方、16世紀頃に中国からスペインに伝わった扇子は、ヨーロッパで独自に発展することになります。骨に象牙を用いたり、紙ではなくレースや絹地を貼ったり、とても豪華に仕上げたものが社交界で広まります。その洋扇子が日本にも逆輸入され「絹扇(きぬせん)」が生まれるきっかけとなりました。
明治から大正にかけて、海外に輸出するほど扇子作りは盛んでしたが、昭和に入り、扇風機やクーラーが普及し、着物を着る機会も減ると、生産数は減少し現在に至ります。